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集出版社主催「骨董 笑日幸美 大賞」集38号第2回作品発表!!

本を持たない二宮金次郎
浅井廣吉 

骨董収集にのめり込み始めたのが25歳の頃であるから、もうかれこれ30年以上も続けていることになる。収集品は主に掛時計、置時計、それにランプであるが、収集し始めの頃は、これらの他に古民芸品やタンス、蓄音機、焼き物等いろんなものに手を出したものである。こうしたことはコレクターであれば多かれ少なかれ誰もが通る道ではないだろうか。また、未だにこういった状況に陥っているコレクターも少なくないはずである。さすがに家全体を骨董品で埋め尽くすようなことは嫌なもので、コレクションルームを一室設けて、そこに収集品を飾って楽しんでいる。今では、この部屋は飽和状態であることから、一つ新しい品物が入ると、別の品物を骨董品屋さんへ持ち込んでは、安々と買い取って貰っている。こうやってコレクションの質が高まっていくのである。
 骨董収集を始めてから5年ほど経った30歳の頃であろうか。この頃は若くて給料も少なく、骨董品につぎ込む資金は限られていたが、若い故に行動力だけは旺盛で、相当遠くまで足を伸ばして骨董屋巡りをし、店の主人の話を聞きながら骨董知識を会得したものである。
 ある日のこと、初めて入った店である。その骨董屋の主人はお茶を出してもてなしてくれ、色々な裏話を聞かせてくれた。相当前に高山の渋草焼という焼き物の油壺を大量に買い込み、それに時代を付けて売りさばいた話や、今出来の磁器の焼き物に時代をつける方法などかれこれ1時間位話を聞いていただろうか。こんな話を聞いたおかげで、焼き物の世界はえらく恐ろしいと思うようになり、それ以来高価な焼き物には手を出さず、実用的なものがあれば買うようにしている。例えば、安い抹茶茶碗に季節の一品を盛りつけて、晩酌の友にするなど、一人優雅な気分に浸っている。自分の収集分野をよく知っている骨董屋から、楽焼の平茶碗を買ったことがある。この茶碗を頂きますというと、意外なものを買うもんだときた。これは抹茶に使うのでなく晩酌の肴を入れるのに使うんだといったら、そんなことをするのはお前さん位のもんだろうと仕切りに感心していた。
 さて、件の骨董屋のことであるが、その店の中に二宮金次郎の木彫りの像があった。見ればすごく細かいところまで彫ってある。衣類の皺はもとより、髪の毛などは一本一本が彫られているような感じであり、まるでマイセンの人形の絵付けのように細かい彫りである。裏には作家の銘も刻まれていたが、そんなことはどうでもよかった。高さは30センチ程で、見れば見るほど惚れ惚れするような素晴らしい彫りである。一部に割れがあるが一向に気にならない見事なものである。これはいくらかと主人に尋ねると2万円だという。こんな素晴らしいものがたった2万円で買えるなんて何と運が良いんだろうと値切りもせずに2万円を置き、そそくさと退散した。
 それをコレクションルームに置き、しばらく眺めていたある日のこと。どうも可笑しい点がある。二宮金次郎といえば、薪を背負って本を読んでいるのが一般的な姿である。ところがこの像は薪を背負っていない。これは店の主人がこれから山へ柴刈りに行く姿だといっていたことからうなずける。像から薪の部分を削り取ったような形跡もないので安心した。問題は本を持っていないことである。よくよく見れば、金治郎の目は人間でいえば30センチ位先の所を見ているではないか。それほど素晴らしい彫りであったのである。金治郎の目から30センチ位先に何があったかといえば、本に他ならない。本を持っているべき手を見れば、袖から先の素手の部分が胸元をつかんだような恰好になっており、明らかに本体の木質とは別質の手が付いている。多分、本を持っている手の部分が本とともに欠落し、何の補修も施されないままに、別の仏像の手か何かをはめ込んだのであろう。それでも、素晴らしい彫りであったため、しばらくは飾ってながめていたが、やがて熱もさめて次は玄関の下駄箱の上へ。最後は別の骨董屋へ持って行って、それこそ二束三文で売りさばいてしまった。
 あの二宮金次郎とあの店の店主は今、元気にしているだろうか。そして作家は誰だったのだろう。


古唐津ぐいのみから学んだこと
面手勝仁 
今、食品偽装が話題となっています。私が、この原稿を書いている間にも、地元の飛騨牛の事件が取り上げられています。骨董の世界にも偽装(所謂、贋作)が多くあり、これが骨董の世界を魑魅魍魎とさせていることはいうまでもありません。私もよく骨董市に行くのですが、贋作もしくはコピー品が平気で売られているのには辟易します。そんなある日、偽装であるその古唐津の(無地唐津)ぐいのみは売られていた。売られていたお店は骨董屋さんと言うより、フリーマーケットのように、雑貨なんでもありの店にちょこんと置いてあった。「おお古唐津の立ちぐいのみだ。」と、思わず心の中で叫んだ。でも、待てよ、こんな所に古い唐津が置いてあるはずがない。「やったこれが、掘り出しと言うものなのか。」 感動のあまり全身に、電気が走ったような身震いがした。店主に値段を聞くと「五百円だよ。」と言う返事。あまりの安さに、また驚きつつ、即座に購入した。「この店主は古い唐津を知らなのか?」と疑問に思いつつ、嬉しさのあまりこのぐいのみひとつ購入しただけで、すぐに帰途についた。この時に、店主の話を聞いておくべきだったのが悔やまれる。
 でも、帰りの電車の中でもう一度そのぐいのみをしげしげと見た。「違う、姿はいいが、肌触りが変だ。」と感じた。以前、古唐津の陶片を触った経験があるので、しまったと感じた。購入した時は、いい土味で高台の造りもいいと思っていたのだが、釉調がなにか違う。もっとよく見てから買うべきだったと後悔したのである。やっぱり、世間で言う掘り出しものでなく、ニセモノという灰色の判定を自分自身で下した。その後、唐津に詳しい骨董屋さんに見てもらうと「これは、現代作にフッ化水素をかけてつや消ししたもの、よく出来たニセモノ。」とのお言葉を賜った。また、初心者がだまされる典型的なニセモノであり、まだこんなものが市場にあるんだと言われた。かなり前に初期伊万里、古唐津のニセモノが流通したらしいが、その時のものらしい。多分、店主はこのぐいのみの素性を知っており、わたしに五百円で売ったのだと解釈した。普通なら、そのぐいのみをぶち割りたくなる気持ちになるが、自分の鑑識眼の甘さと、掘り出し根性を戒める為、身近に置いている。そして、世間にはそんな美味しい話は転がっていないことを、改めてこのぐいのみから学んだのである。骨董を始めた頃のほろ苦い思い出ですが、今ではよく見てから買うということを肝に命じております。


改めて古伊万里の魅力に触れて
〜古伊万里瓔珞文猪口〜
面手勝仁
 古伊万里の猪口と言えば、ごくありふれた古陶磁の一つである。しかし、昨今の骨董ブームや猪口コレクターの増加で、めっきり良品が少なくなっている。どうも、切手収集のように図柄が違う猪口を多く購入されているようで、市場から姿を消している要因ともなっている。特に優れた図柄、珍しい文様、または初期伊万里の猪口は、私の手の届かないような高額な値段が付けられている。このことを猪口収集の先達である故料治熊太氏が知ったら、さぞ驚かれるであろう。私のような一介のサラリーマンの予算で入手できる猪口は、キズ物や、かなり時代が下降した猪口ぐらいである。私の興味のある古陶磁から猪口が外れていったのは、仕方ない。とにかく品物が市場にないのだから。
 しかし、私がよく訪れている露店の骨董市で、小さな出店の片隅でちょこんと置かれていた。それは白い素地にブルーの文様が描かれた瓔珞文と呼称されている古伊万里の猪口である。以前から江戸時代らしからぬモダンなデザインで、本でしか見たことがなく、欲しいと思っていた猪口の一つであった。この瓔珞文猪口には、口縁に小さなホツがあったため、安価であったので、すぐに購入した。古伊万里はご存じの通り、ホツ一つで値段が下落してしまうのであるが、私は観賞用で求めるので気にならない。さて、この瓔珞文猪口は、仏像の瓔珞(胸飾り)を図案化したものという説や、キリシタンの十字架の飾り文様をくずしたという説などがあるが、定説ではない。古来、日本の伝統の文様にも類例がなく、従来の古伊万里の中では、珍しい文様ではなかろうか。また、フリーハンドで描かれているため、雑という印象も受けるが、今から三百年前の器かと思えば、斬新さを感じさせる。古伊万里猪口では少ない、西洋的なデザインであると考えるが、この文様の期限はどこから生じたのか、未だ類例を見ない。
 この瓔珞文猪口は、江戸時代の半ば以降に大量生産された内の一つにしか過ぎない。しかし、これより百年から二百年前までは、日本における磁器生産がようやく始まったばかりであった。それまでは、中国からの輸入に頼っていたことを思えば、古伊万里の量産は日本の歴史の中でも特筆すべき事柄であると思う。私の学生時代には、江戸時代は鎖国政策により閉鎖的なイメージを受けたが、古伊万里に関しては、外国の技術を上手に吸収・発展させたのである。江戸時代の人が、白と青の磁器を使っていたとは、私たちが思うより美意識が洗練されていたと考えた方が自然ではなかろうか。私は、この古伊万里瓔珞文猪口のような、当時の人々の斬新な感性に触れる器物を常に探しているのである。


虎関師錬
奥田紀久男
禅宗高僧は天地と同根わしゃ天地と大根    松永耳庵 

「眉毛横眼上」と書かれた掛軸の前で、大学の成田先生がさっきから黙って立っている。
難しい顔で腕組みなどしているから、こっちもそ知らぬ体である。
「うーん」
と、成田先生。
感嘆のうなり声ではなくて、買い叩くための難癖を苦吟しているのだ。
「びもうがんじょうに横たわる、か。季節がないよな」
「お言葉ですが、先生。季節がないということは、いつでも間に合うということではないでしょうか」
「まあそうなんだが、季節にぴったりというのが、なんと言ってもご馳走だからね」
「先生、虎関師錬ですよ。古筆了佐と大倉汲水の極め付き、正真正銘の虎関です。これ以上のご馳走がございますか。眉毛の毛の字の鳴門の渦のようなぐるぐる巻きの撥ねぐらい、そして、この何ものにも囚われぬ、天衣無縫の堂々たる筆致。これを虎関といわずしてなんといいますか」
「わかってる。しかし、本紙の折れが気になるなあ」
「七百年の履歴です。言わばこのお軸の勲章です」
「こりゃ偉すぎて、あとの道具組みが大変だ。で、幾らって言うの」
「六つです」
「六つとは六十万のこと?」
「さようで」
「ひえ! 高いなあ、ちっとは色つけるんでしょ」
「だめです」
「愛想がないんだね」
「いくら上客さまの成田先生でも、こればっかりはご勘弁願います。で、いかがなさいますか。ライバルの先生方のおいでになる前に、お持ち帰り願った方が得策かと存知ますが」
「うん。あ、いや、今日はやめとく。もうちょっと値が下がってからだな。その間に売れてしまえば、諦めもつく」
虎関は早々にしまい込む。目垢が付くほど値が下がる。
 三日目に、遠州流の高村宗匠が、何気ない顔してふらりとあらわれた。
成田先生のお茶の師匠だ。
「なにか入ったの」
「そうですな」
「虎関が入ってるんでしょ」
「あ、もうお耳に達しましたか」
「勿体ぶらずに早く見せてよ」
「はいはい、ただいま」
「ほほう、まさしく虎関師錬だね。ずいぶん久しぶりです。十年前に徳川美術館の茶会でおめもじしたきりだもの。表具もいいね。十六弁菊花文の金襴か。色竹屋町の一文字も気が利いている」
「お気に召したようですな」
「まあね。しかし、六つとかいうことでしょ」
「よくご存知で。なんでしたらお届けにあがりましょうか」
「駄目だよ来ちゃあ。女房がうるさい。眉毛眼上か、悪くはないな。また来ます」
宗匠は、すうっと消える。
 翌日、隣町の病院の院長が、大型ベンツを狭い路上に不法駐車して、ずかずかと入ってきた。
「おい、見せろ」
がさつなお茶人である。
「これはこれは、わざわざお越しいただいて」
「挨拶はいいから、虎関を出せ」
院長は、掛軸を一瞥するなり、ふんと鼻で笑って、
「これが六十万とは大きく出たな。この不景気に駄法螺吹いてると、死ぬまで塩付けだ。そのうち吠え面かくぞ」
「恐れ入ります」
ぷいと出て行った。
 役者は揃った。釣り糸垂れて、あとは浮きの動きを待つばかり。
 ところが、それきり、ひと月経っても、ふた月経っても、申し合わせたように誰も現れない。そろそろ心細くなってきた。
風船玉のように膨らんだ夢も、半年経ってすっかりしぼんでしまった。
焦りが、いよいよ極限まで来た。
 「おい、虎関はどうした」
あたかもタイミングを計っていたかのような電話が、院長からきた。
「はい、きちっと、とってございます」
「あはは、とうとう塩付けか。あのなあ、相当の覚悟があるならば持ってきていいぞ」
「はいっ! 有難うございます。とくと覚悟はいたしました。では、何時お持ちいたしましょう」
「何時でもいいが、ちゃんとヘルメットかぶって来いよ」
豪邸の座敷に通されて、座るやいなや、いきなり胸元に、匕首よろしく札束を突きつけられて、
「三十万だ。これ以上はビタ銭一文出さぬ。それでよければ置いてゆけ」
問答無用の剣幕である。
ねばりにねばって、やっと五万円つけさせたが、追剥に身ぐるみ剥がれた気分で、院長口癖の「吠え面かいて」門を出た。
 ひと月ほどして、大学の成田先生がふらりと来た。
「院長のところに嫁に行った例の軸ね」
「え、知ってたんですか」
「知ってたも何も、院長が三人を代表して、値段の交渉したんだもん。あとでくじを引いてね」
「嫌だな、くじ引いたんですか」
「当選者が、はずれのふたりに利を付けるということで、院長が当たってね。ぼくと宗匠、五万円宛頂いた」
「それってダンゴーっていうんでしょ。つまりは私が損した分を山分けされたんだ。ひどいなあ」
「ま、それはいいとして」
「よくないですよ」
「それそれ、最もよくないのは、院長のやつだよ。高僧、虎関師錬の神聖なる墨蹟を冒涜するという挙にでた。彼は、なにをしたと思う」
「そんなこと、知るわけないでしょう」
「あろうことか、ひとを介して美術倶楽部の競りに出した。それが、なんと百四十八万円の高値で売れた。あんたの三十五万円と、僕たちの十万円で、元は四十五万円だよ君。院長、ひとりで百万円以上ふところに入れて、だんまりを決め込むつもりか、僕たちには、いまだになんの挨拶もなしだ。ほんと、絶対に許せない」
許せないのは、こっちじゃないか。
ショックで、しばらくは腑抜け同然に暮らした。
 虎関の悪夢から、ようやく立ち直りかけたころ、大手の掛軸通販会社からカタログが届いた。
何気なく開いてみれば、なんと巻頭に、紛れもないあの虎関師錬が、堂々とカラー写真で載っているではないか。へえ、おまえこんなところにいたのか、ま、これでどうやら成仏できるというものだな、と思いつつ、ふと目を凝らせば、特別ご奉仕価格五百五十万円也のゴチック活字が飛び込んできた。ガーンといきなり頭を殴られたみたいに、くらくら目まいがして、やがて熱も出で来た。
今度こそ、寝込むかもしれない。



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