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集出版社主催「骨董 笑日幸美 大賞」集40号第4回作品発表!!


「じーじの煙草入れ」
浅川廣吉 
 私は一九五〇年生まれである。物心がついた頃、祖父はまだ元気で、大変な愛煙家であった。当時の煙草といえば専らきざみで、煙草を吸う人はみな煙草入れを持っていたものである。祖父も御多分にもれず一つの煙草入れを愛用していた。その後、祖父は私が中学校二年の時に他界し、祖父の煙草入れのことは、すっかり頭の中から消え去っていた。
 私が骨董収集を始めたのが二十五歳の頃であるから、祖父が亡くなってから十年以上が経ってからのことである。まず自分の家にお宝が眠っていないかと、納屋や押入れの中を捜し回っていると、押入れの片隅に煙草入れがあるのを発見した。はじめは、何故こんな物がここにあるんだろうと不思議に思ったが、やがて少年時代の記憶が蘇った。まじまじと見ると、それは祖父が愛用していた煙草入れにほかならなかった。この煙草入れは欅で出来ており、上から見ると細長い六角形をしている。表面は全体に彫刻が施され、手垢がついてトロトロ感がある。これはいい掘り出し物をしたもんだと早速コレクションに加えて眺めていた。
 それから五年ほどしてのこと。この頃になると、何でもかんでも集める訳ではなく、収集範囲も掛時計、置時計、ランプなど限られた物になり、そういった品物を扱う骨董屋へ足しげく通うようになって、所謂「行きつけの骨董屋」というものが出来てくる。
 その骨董屋が家に遊びに来た。その時その骨董屋がこの煙草入れに目をつけ、譲ってくれないかとのこと。この時は、祖父の形見を売ってしまっては申し訳ない気がして、買値も聞かずに断った。
 それからまた五年程してのこと。行きつけの骨董屋にどうしても欲しい時計があるが、資金繰りがままならない。資金の足しにしようと一大決心をして祖父の煙草入れを手放すことにした。この骨董屋へ持ち込むと買値は五千円だという。この値段が安いのか高いのかわからないままに、手持ちの資金とこの五千円で目指す時計を手に入れた。この時計は長い骨董遍歴の中で下取りに出してしまい、今は手元にない。
 その後、時は流れ、五年程前のことである。この頃になると骨董市や蚤の市がいたるところとまではいかないが、私が骨董を収集しはじめた頃よりは遙かに多く開催されるようになり、できる限りこういった場所へ足を向けるようにしていた。そんなある日の蚤の市。この蚤の市は毎月一回開催される市である。出店数は二十店近くもあっただろうか。季節は確か夏だったと記憶している。夏の暑い中で、思考力・決断力ともに失われようとしている時に、ある店の一品に目が釘付けになった。と言うのは、そこに祖父の煙草入れがあったのである。懐かしさとそれが祖父のものかどうか確かめるため手に取ってみると、紛れもない祖父の煙草入れであった。この煙草入れが私の手を離れてから既に二十年以上も経っていたが、またこの煙草入れにめぐり会おうなんて思ってもみなかったことである。懐かしさのあまり、買い戻そうと値札を見ると何と三万円とある。その時、三万円は手元にあったが、これを買ったところで、私の収集アイテムでもないことから、その場は見送った。売った時が五千円で買おうとしたら三万円。これを骨董業界で「出世した」というのかどうかは分からないが、私の心の中では「高くなったもんだ」との感があった。
 今でも祖父の煙草入れはちょっぴり懐かしく、祖父に対して申し訳ない気がしないでもないが、煙草入れは収集範囲外であり、それを手放したことに未練は感じていない。祖父は天国で何と思っているだろう。
 これは長い私の骨董収集歴の中で手放した物と再会した懐かしい思い出である。もう二度とあの煙草入れに出会うことはあるまい。今は祖父の煙草入れがコレクターの元で、ショーケースにでも収まって眺められていることを願うのみである。


「ドゴン族の穀物庫の扉」に想う
桑本正一 
 まだこどもが小さかった十数年前、家族で伊勢・鳥羽旅行にでかけた。海沿いの道をはずれ、山路にかかるとすぐ、アフリカの美術品を集めた小さな美術館が目についた。初めて会う「アフリカの美術」の名にひかれ、物珍しくもあり入館した。
 中には木というより艶のある黒い鉄から出来ているような堅木を利用した様々な彫刻・美術品が溢れ、中にはおおらかに表現されたエロティックな物まで展示されていた。鉄のような堅木に彫る道具だとて十分でないだろうに、どのようにして彫ったのだろうとその細かな精微なつくりに圧倒された。
 それから十数年後、『集』の中でアフリカ、ドゴン族の穀物庫の扉を見ることが出来た。大きな一枚板を利用し、多分、魔除けの為やネズミ除けのトカゲが大きく彫ってあった。もう一枚には、作物や家畜の豊穣を願う乳房の彫物が大胆かつ素朴に力強く彫ってあった。私がイメージする「アフリカ」そのものであった。
 これを見た時、ふっと十数年前、この扉と対極にある小さな美術館を思い出した。どちらも欲しいと思ったが、一方は展示物であり、扉は定年した身ではすぐに買えるものではなかった。
 しかしである。つい先日、所用で通った街の店先にあふれているガラクタにひかれ、何気なく寄った店であの「アフリカの扉」を見つけたのである。ほこりにまみれ、片隅に裏返しになったまま、その板が放ってあった。見た瞬間、ひらめくものがあり、すぐ分かった。
 何故、どうして、遠い遙かなるアフリカからこんな所に扉がやってきたのか。何か夢をみているような気持ちであった。表にして見ると、以前本で見たものよりも豊かなイメージが込められていた。しかもいかにも「アフリカ」を感じさせられるように色まで塗られていた。厚い、堅い、重い一枚板に、同じようにトカゲと乳房が象徴的に彫ってあり、真ん中に全ての恵み、生命の基である水や雨を象徴する稲妻がデザインされ、赤枠の中に青色で着色されていた。その下には恵みを受ける人物が黄色で大きく彫ってあった。
 今、その扉は部屋の壁に立てかけてある。この扉の前に立つと本当にアフリカの乾いた赤い大地、暑い乾いた風や光を感じる事が出来る。そして数千キロも離れている、はるか遠い遠いアフリカから、いつどのようにしてこの私にたどりついたのか。一枚の穀物庫の扉からロマンを感じるのである。


ネット時代の骨董
面手勝仁 
 色々と賛否両論となっているが、インターネットにおいて、オークションは骨董の世界を一変させてしまった。今まで、骨董店、骨董市を時間と労力をかけて探し回る苦労は無くなった。しかし、売買の相手がネット上だけのやり取りで、高額の商品が取り引きされるのは、違和感を覚える人も多いであろう。また、画像だけから得る情報では、真贋が分からない骨董品もある。このことに付け加えるなら、ネットの画像だけでは、微妙な肌合い、質感はよく分からない。こうした件を理解し、ネットオークションの決まりを遵守した人達という前提で成り立っているが、トラブルも多いのも事実である。以前、岐阜県で盗難に遭った円空仏が堂々と出品され、警察の捜査が入ったというエピソードもあった。
 今から半年前に、私は以前から欲しいと思っていた瀬戸石皿の鶴の図柄(写真)をネット上で落札した。決して珍しい図柄では無いが、品薄の昨今では様々な骨董店を探しても見つける事は出来なかった。この鶴の石皿との出会いは、ネットオークションのおかげと言っても過言ではない。逆に苦い思い出もある。数年前、骨董市で古銅の柳に蛙の水滴を購入したが、一万二千円であった。骨董店のおやじさんが「一万五千円のところ、一万二千円にしとくわ」。骨董市によくある値引き話についつい乗ってしまうのが、私の駄目なところである。この骨董市で安く買ったはずの水滴と全く瓜二つのものが半年後にネットオークションに出品されていた。そしてさらに驚いたのが、私の購入した価格の半額近い七千円で落札されたのである。ネットオークションの場合、落札価格が出品者により設定されてない限り、価格は競合入札者がいわゆる競りで決定される。このため、市場価格より高かったり、格安の場合もある。私の場合、ネットオークションの方が安かった例があるが、骨董店主とのやり取りが無いネットでの取引きは、何とも味気なさを感じるのは、人それぞれに評価が分かれるであろう。ただ、私はネットの画面の取引きの中から、後日、知り合いとなった骨董店主もいた。ネットオークションが無ければ、この骨董店主とはまず知り合えることはまず無かったであろう。これからネットオークションは、店頭での販売とは違うが、骨董の世界を一変させる出来事であるには違いない。同好の方々はネットオークションをどう思われるでしょうか。


享保雛の妖美な世界へ 
地島博秋 
 享保雛をご存知だろうか。時代は享保時代、ほとんどが内裏雛のみである。日本の雛人形では最大で、全高45センチ以上にもなろうかという大きな雛人形である。まるで子供が座ったほどの、高さの大きな人形である。衣装もきらびやかで、古雅かつ派手なものである。享保雛はやがて幕府の華美禁止令により禁止されてしまったが、日本雛人形史に屹立した傑作雛であるといえよう。その多くは豪商や紅花大臣などの家に伝来している。私が見たのは、山形の紅花大臣の家の伝来品である。
 まずその特徴であるが、顔はあくまでうりざね顔でほそおもて。目は糸のように細く、つりあがっている。そして妖しげな笑みをたたえている。全体から漂うのは、あくまで妖しい魅力に満ち溢れた雰囲気である。現代の雛は目もぱっちりで、丸顔あかいほっぺで味もそっけもなく、ましてや妖しさなんてこれっぽちもないが、この享保雛は古い人形独特の妖しさに満ちている。畳に座ってひととき、享保雛と対座していると、眺めていくうちに、ふっと、あたりには桜が舞いちりだし、狐の顔をした花嫁行列がしずしずとその舞い散る下を通り過ぎていく。はっと我に返ると、静まった大広間の豪商の館に、奥まったひな壇にその女雛は、妖しく微笑しているのだった。
 嗚呼、あれは真昼の夢だったのか。ひと時の幻に誘うそんな雛人形の、幻の逸品、それが享保雛である。そんな幻化の夢想に誘う究極の、春の宵のうつつを誘う、雛人形なのである。


「氏いわく……」
子牛 
(骨董業界にも相通ずる下りを羅列致しますので、売り手、買い手の諸兄は、しかと噛みしめて読んで欲しい)
 以下「古本屋おやじ」中山信如著いわく…「なにが地域住民に密着しただ。オレはどんどん遊離してやるぞ。なにが客のニーズに応えるだ。オレが応えるのは、わが内なるニーズにのみだ。」
「エロ本は、読まぬこともないが、売る側にはまわりたくないので置かない。実用書は、本を読んで直截な利益を得ようという根性が気に入らないので置かない。」
「人様の死に臨んでなお、品物のみ思うこの因果。業とはいえ古本屋、とても極楽へは行けまいことよ。」
「顔は、その人の身につけた文化の反映である。バカズラしてるやつは、バカな本しか読んでない。」
「億単位の話に、しばし付き合う。もっともこれくらい桁がちがうと、実感がなく、こたえもしない。いちばんこたえるのは、「オレんちは日だて三万も売れる」なんていう豪儀!?な話である。グヤジイ!!」
「まったく褒めちぎるやつに、買ったやつのいたためしがない。」
 以下「街の古本屋入門」志多三郎著いわく…「同業にものを尋ねるなどは、彼の経験の蓄積をタダで披露してくれといっているに等しい、甘ったれ以外のなにものでもない…。」
「生活の余裕を示すつもりなのか、いくらでもいいという客がいるが、たいした本ではなくてもそれで商売しているのであって、乞食ではない。だから「いくらでもいい」なるいい草は、商売としての古本屋を貶しめているといっても過言ではない。」
「売価は商品構成と並んでその古本屋の性格を決定づけるもので、おやじの眼力の唯一の証明でもある。」
「失敗は自分の責任においてかぶることであり、客に転嫁してはならぬ。」
「商売が貧しいのと商売をする気持ちが貧しいのとでは、決定的に異なる。」
 果たして、この両氏のように確固たる信念を持ち自覚的に店を営んでおられる方がどれだけいるのだろうか。正に男の迫力、人生哲学すら感じられる。「おれは骨董に命を懸けている」と言い切れる諸兄がどれだけいるのだろうか。売却した品が高価で転売されたとか、贋作をつかまされたとか、価格をはっきり提示しろ等、甘ったれた話はもううんざりである。おのれはその世界では、ちと名の知れたコレクターであるが、はっきり言ってそれに命を懸けていると言い切れる。酒、女、博打すべて足を洗った。骨董とは浮世離れした世界だからこそ魅力的なのではないのだろうか。おのれの眼力ひとつ。売り手も買い手も真剣勝負、まるで戦国時代の武将のようで、アドレナリンがからだ全体に行き渡り、理性と欲望のシンクロニシティ。心の蔵がチクチク疼きまくる。こんな究極の売買は他に類を見ない。デパートで生活用品をカードで買い物するのとは訳が違う。風雲急を告げ、世界恐慌並の経済破綻が押し寄せようとしている今、売り手も買い手も淘汰されて本物のみが生き残る…楽しみではないか、いざ勝負!!


「能道」との出会い
探し人 
 大規模な骨董市では高額な物ばかり並べてある雰囲気があり、一般の人には何となく行きにくいものである。これに対して街角や公園などで催されている露天市やフリーマーケットなどは子供から大人まで気さくに入りやすく一日中楽しめる雰囲気がある。
 先日、いつものようにテレビの「開運!なんでも鑑定団」を見ていた。すると四年前に会社を定年退職して悠々自適の毎日を過ごしているという依頼人が登場した。この依頼人、唯一の趣味がフリーマーケット巡りという方であった。まるで私のようである。さてその依頼品とは、昨年都内の某フリーマーケットで二百円という安価で手に入れたという花瓶であった。依頼人曰く、陶芸書などで調べた結果、加守田章二の花瓶に間違いないとのことである。
 さて期待の鑑定額がなんと二百五十万円! 会場は一時騒然となった。見事な目利きである。まるで『集』に掲載されていた漫画の目利き仙人のようだ。鑑定士のコメントでは加守田章二の本物に間違いないとのことであった。このような場合、往々にして偽物と鑑定されるケースが多々あるが、二百円という安価で買えば、たとえ偽物であっても諦めがつくというもの。この花瓶、依頼人のような収集家の手に渡ることによって品物が生かされ、次代に伝わっていくだろう。これが価値観のわからない人が買い求めたものなら二百円の花瓶で終わりを遂げるかもしれない。話は先にもどり、加守田章二の花瓶を手に入れた方は良い物を安く買うことをモットーに、毎週フリーマーケットで掘り出し物を探しているとのことである。やはり良い物を安く手に入れるには、こつこつと地道に足を運ぶのが一番であるようだ。
 さてこのような体験を私も幾度か経験したことがある。最初は五年前、県内のある小さなフリーマーケットで偶然徳利を手に入れた。共箱の裏には能道作とあり、付いていた値段が千五百円! 売れなかったらしく、交渉すると直ぐに千円に下がった。売主は主婦の方で、先代の品物を整理するために売っているとのことである。確かに他にもいい品物がいくつかある。興奮しながら自宅に戻り調べてみると間違いなく、藤本能道(人間国宝であり、芸大学長。底部に「能」、共箱)である。この徳利、白磁に赤絵を施してあり、実に良い作品である。更になんと本人の名刺まで入っているではないか。直筆で「東美教授日本工芸会員 藤本能道」と書いてある。不思議な縁か、それから一年後、またまた能道の作品と出会ったのである。今度は都内の某リサイクル店である。まだ買取した直後のためか値段がない。いそいそと値段を尋ねるとこれが二千円とのことである。すかさず手に入れた。売る側もまったく気づいていない。この某リサイクル店は近隣の家から、いろいろ品物が多数持ち込まれる。その中には作家物を中心に良い物がまれにある。百回通って一回の確率か。そのためか、最近はプロらしき人も買い出しにたびたびおとずれている様子である。都内にはまだまだこのような場所で掘り出し物がたくさん眠っているのだろう。この原稿を仕上げている最中もたびたび訪れた。つい先日には物故の洋画家・後藤又衛門(10号油絵)を二千五百円で手に入れた。
 高額な商品を安く買うのではなく、たまたま安く付けてある品物を探し出すのが実に面白い。まるで宝探しをしているように。


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