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「骨董 笑日幸美 大賞」2010年集47号第3回作品


一期一会(その8)
松沢 善裕 
 新婚旅行で台湾を一周した。旅行社の手違いのおかげで、おもいがけず二人にリムジン・通訳付きの大名旅行となった。
 台湾東海岸の花蓮では、通訳にお願いして現地の人々の集まるおいしい郷土料理店で、日本的な味付けでない料理を堪能した後、アミ族文化村の民俗舞踊を見に行った。舞踊見学の後、土産店をのぞくと、新しい土産物の他に古い土人形や木彫人形なども混じって売っている。二人で古いものを夢中で選び出して購入した。
 ふと、店の横を見ると、倉庫の入り口が開いている。中を見ると古い家具などが積み上げてあり、一番下に大きな黒い碁石状の石がのぞいている。一部分しか見えないが、表に蛇や人面などの彫刻がある。上に乗っている家具を動かそうとしたが、山積みでとても無理だった。
 「これ、台の上に乗せたらテーブルにならないかな?」と妻と意見が一致したので、早速交渉してみた。「10万円ならいい」とのこと。見えていない部分がちゃんとあるかどうか心配だったが、どうしても欲しくて、言い値で購入し船便で送ってもらうことにした。
 一ヶ月ほどたって博多港から連絡があり、受け取りに行ったが一人ではとても持ち上げられないくらい重い。石盤の表全体に、図案化された蛇や人面や狩りの様子など、昔の生活をしのばせるありさまが浮き彫りにされており、ほぼ完品だった。
 その後、懸命にテーブルの台にする木臼を探していたが、ようやく大分県の骨董店で入手でき、家に持ち帰り乾燥のため玄関脇に置いた。翌朝、臼を見ると何か小さいものがいっぱい動いている。近づいてよく見ると「あっ、シロアリだ!」あわてて焼却場に運び焼却してもらった。「急いでは事をし損じる」のことわざを思い出し、じっくり探すことにした。やがて知人の蔵にあった臼を譲ってもらうことができ、念願のテーブルが完成して座敷に鎮座した。
 ところが、いざ使ってみると、彫刻のためテーブルの上に置いた物の安定がよくない。おまけに、間もなく娘が生まれ、つかまり立ちをするようになると顔をぶつけそうで心配になる。とうとう、テーブルは床の間に上げ、物置きの台となってしまい、ほこりをかぶっている。


骨董市での後払い
浅川 廣吉 
 専らの出不精である。おまけに車の運転が苦手ときている。こんな訳で骨董屋さん巡りはここ20年以上したためしがない。パソコンも持たないこんな地方のモノグサコレクターにとって骨董の情報収集源は「集」と「骨董市」だけである。「集」は第1集から購読しているし、最寄りの骨董市へは必ず顔を出すようにしている。そんなある日の骨董市。毎回ではないが時々出店する九州の骨董屋さんがいた。この骨董屋さん、「集」にも度々登場しており、取扱品目は古唐津専門である。この骨董屋さんの一角にガラスケースがあり、幾多の高価な焼き物に混じって場違いな感じでランプの笠が1個置いてある。これは西洋ランプの笠で全体に白い羽模様が入って縁はフリル状になっており、ピンク色の千段巻になっている。
 一目見た瞬間、この笠に惚れ込んでしまった。値段を見ると何とウンジュウ万とある。惚れ込んだのはいいが、あまりにも高いうえ財布の中にこれだけの手持ちはない。よしんば骨董市の相場である2割引にしたところで手持ちの軍資金では及びもつかない。あきらめて会場を2〜3回まわってみたが、あの笠がどうしても頭から離れない。買えなくて元々というつもりで、ご主人にぎりぎり幾らまで値下げできるか聞いたところ、何と7万円だという。それでも財布の中身はこの額を満たしていない。その時の財布の中身は5万数千円であった。その場は諦めてまた1〜2回ほど回っている中で、どうしても諦めがつかない。意を決してご主人に5万円しかないが何とかならないだろうかと尋ねると、ご主人の顔は非常に困った様相になり、暫く考え込んでしまった。この顔からは5万円で売ってしまっては完全に赤字になるという落胆振りが十分に見てとれた。ようやくご主人は口を開き1万円でもいいから上積みできないかという。私も正直にない袖は振れないというと、しょうがないだろうとその笠を分けてくれることとなった。私は5万円に気持ちの数千円を上積みして感謝の念を表した。聞けばこの笠は東北の業物市でセリ落とした物だそうで、落とした時は周りの骨董屋さんから羨ましがられた物だという。ご主人も相当自信を持っている笠である。
 その時はルンルン気分で会場を後にした。件のランプの笠は10台程ある西洋ランプコレクションの中の1台のランプの笠と交換され、そのランプは今一層輝きを増している。
 ところが、あの時のご主人のがっかりした顔が頭から離れない。あのご主人に損をさせてしまった後ろめたい気持ちがいつまでも残ってしまう。今度あの骨董屋さんに会った時は1万円の上積み代金を支払わなければという気持ちが芽生えていた。それから1年ほどたった骨董市のことである。会場を一巡しているとあの骨董屋さんの顔があった。なつかしさと1万円の上積み代金を支払わなければという気持ちで駆け寄った。ご主人も私のことを覚えていてくれた。あの時すばらしいランプの笠を分けていただいた礼を言い、1万円を手渡すとご主人も快く受け取ってくれた。これまで常に1万円の借金を背負ってきたような気持ちが、ここで楽になったような気がした。
 私は古唐津も含めて焼き物には殆ど興味がなく、このご主人と骨董談義などする事はないが、それ以後骨董市で顔を合わせれば、お互いがニコニコ顔で挨拶するようになった。私は無口な方で、自ら進んで骨董屋さんに話しかけるような事はなく、骨董市で挨拶や会話を取り交わすような骨董屋さんはほんの数軒であるが、こんな骨董屋さんが出店している骨董市は心が和むのである。


春の日の骨董奇譚
地島 博秋 
 「旦那?ちょっとちょっと、ご覧なさいな、こいつあ、掘り出し物ですぜ。」■■神社恒例の春の骨董蚤の市を歩いている私をいきなり、呼び止める者がいる。振り向くとそこには白いひげの貧相な古道具屋さんと思しき人物が立っているではないか。手に持っているのは、汚い、古い菓子箱?のような箱である。「実はね、これはさるお大尽の旧家から解体屋が掘り出して持ち込んできたものでね。話せば長いがその旧家というのがそれ、あの幕末の功労者で□□伯爵の家の流れを汲むという名家で、旦那もご存じでしょう?ところが、そこが例のお家騒動で、断家しちまってさあ、そのごたごたで結局はあの豪邸も解体屋が取り潰す羽目に。解体屋が入ってみたときには、そのとき家財道具お宝骨董品は既に一切運び出して、売り払い、すっからかん、邸内はそりゃあ、もう、もぬけのからさね。ところが解体屋がとある作り付けのたんすを壊したらなんと引き出しの奥に隠し戸があってさあ、その中からこの古い宝石箱がでてきたってすんぽうでさ、というわけでうちに持ち込まれたのがこれってわけ。だからこれはお宝間違いなし。どうだい、だんな、持って行きなよ。」まあ、しゃべること、しゃべること。
 多分に怪しい由緒書きとは分かっていてもツイのせられてしまう。さて、この古いジュエリーの箱、開けてしげしげと覗けばよく見ると、古風なビクトリアン・カットのダイヤのはまった金のリングとか、ルビーとかサファイア、アメジスト、エメラルドらしき宝石がちりばめられたバロックペンダントとか、ビクトリアン・ジュエリーっぽい、ミニアチュールやら、貴族の少女像を刻んだシェルカメオのブローチなど、結構アンティーク・ジュエリーとして筋がよさそうなのである。
 かれこれ10点ほどのアンティーク・ジュエリーがその宝石箱に収まっていた。しかし、刻印はない。K18とか、pt900とか探してもないのである。手に持った感じはずっしり重くて、貴金属っぽい。打ち合わせた金属音もそれらしい響き。「いくらだね?」と聞くと、「10万円でどうでしょう?」と、結構高いことを言うのである。「金ともプラチナとも分からないのにそれはないだろう?」と私が言うと「古いものですから刻印がないのですよ。何しろ□□伯爵様がイギリスのアンティーク商に特注して良いものを買い求めたものですから、本金、本ダイヤ間違いなしですよ」「だが待てよ、この老人ほんとに伯爵家から出たと分かって言ってるんだろうか?」私は心の中でそう思った。「もし伯爵家から出たことが事実なら10万円なんてどころか、100万円はするだろう?」結局私はだまされたつもりで言い値でそれらの指輪・装飾品など箱ごと10点あまりを買ったのである。
 そして、とりあえず、物置にそれをしまい込み、すっかり忘れて、月日は流れて、1年ほどたったとき、東京の某美術館で大規模なビクトリアン・アンティーク・ジュエリー展があったのである。何気なく出かけた私は、そこでどっかで見たようなジュエリーが展示されているのを見たのである。そう、それは私が1年前に買い求めたあの指輪やペンダントとまさに、そっくりのモノたちだった。私はあわてて帰り、とるものもとりあえずに、物置を探した。
 あった、あった。あのふるい菓子箱が、いや宝石箱が…。早速私はそれを持って再びその展覧会会場へ。その場にいた学芸員にいきさつを話してイギリスから来ていた展覧会担当者に、それを見てもらったのである。イギリス人担当員はあけるなり、「ワンダフル」といってうなっているのである。そして、ルーペを取り出してさらに、食い入るように見ていた。しばらくして通訳の日本人学芸員を通して言うには、なんでもこれは…。イギリスの王家につらなるアルバート公の係累の某伯爵家の、旧蔵品であり、由緒も言われもれっきとした正当なビクトリアン・アンティーク・ジュエリーの逸品であることに間違いないとのこと。そしてこれらは、まさに、新発見であり、値段はつけられないほどだというのだ。本来ならば「ビクトリア・アルバート美術館」に収まって当然の逸品であるというのだ。私は自分の耳が信じられず、思わず大きな声で「これは夢だろうか?」と叫んでいたのでした。
 すると、その大きな声で、はっと目が覚めて、やっぱり案の定、それは春の夜のはかない夢だったのでした。ぼんやりと外を見ると、外はもう、うっすらと白み始めていて、4月の生暖かいような空気の中で、春の日は今日もうららかな朝をまさに、迎えようとしているのでした。


そば打ちとそば猪口 
吉田 静司 
 十年ほど前の事です。定年間近にリストラで岐阜県へ転居した。休みの日は行く当てもなく、知り合いもない所で、たまたま通りすがりで見た街から離れた郊外にあるアンティーク店を訪ね、この地方の情報や古い街の歴史的な由来や様々な話を訊ねる事が出来た。もの珍しさもあり休みの日のたびに伺い、店に飾ってある絵画や古い器、ステンドグラスや置物、柱時計などの来歴や鑑賞の方法を教えてもらい、店主と慣れ親しみお互いに気心が解る頃、ある時店主から「夜、暇な時間がありますか?」と聞かれたので「毎日夜は何もする事がない」と言うと「一ヶ月三日、夜間二〜三時間、時間を作れるかな?」と聞かれたので「何かするの?」と聞くと「そば打ちをしてみない?」と誘われた。腕に技術もある訳もなく、培った体で覚えるスポーツや趣味の芸事には全く縁がなかったので、知っている人もいない転勤地、恥も外聞もないのでやってみようかなと思った。
 晩秋の夕刻待ち合わせて持って行く準備のものを携えて一緒に行った。車で四〜五十分程田舎道の県道を走り山あいの工場脇の駐車場に車を停め工場の二階へ導かれた。「コンバンワ」と声をかけ部屋に入るとすでに何人か集まっている。指導員の製麺工場の人の説明を受けた。「初めてなので宜しくお願いします」と挨拶した。指導員が「ここは製麺工場で二階は社員食堂です。数年前からそば打ちの先生のもとで社員や退職した人達にそば打ち教室を兼ねて指導しています」との事だった。先生は料理人というより昔の排諧師のような作務衣の装いだ。他に初めて参加する人も後から入ってきた。若い人は数人で女性の年配の方もいる。一通りの説明を聞き、一つのテーブルに漆塗りのこね鉢を貸してもらい、手順を聞く。初めてなので言われた通りの方法でそば粉に水を入れ捏ねた。爪や指先に粉がくっつき耳たぶ位のやわらかさになかなかならない。「水廻しが一番味と腰を決める大事な作業だ」と先生が指導してくれる。八組位の人がそれぞれ鉢で捏ねている。私は言われたとおり訳も判らず、捏ね延ばし角出しから二種類の丸棒で延ばし、そば切り前までたどり着き汗ばんでいる。初めてのそば切りも指導員の年配の人に手伝ってもらいながら切り終え、箱に並べ、二人前分をそれぞれ提出し、食堂の大釜で茹で試食する。私の他一名の新人のそばが最初に茹で洗いして試食された。器は社員食堂のお椀だ。年配の女性の方が「これは腰がないねぇー」と言っている。皆それぞれ試食で批評し合っている。先生の打ったそばは最後に全員で食べる。「おいしいねぇー、香りもするョ」と全員が感嘆の声をあげた。後片付けをして、満天の星の輝く田舎の県道を自分で打ったそばを土産にタッパーに入れ夜遅く帰途についた。
 月三回のそば打ちの日が半年ほど過ぎると自分の打ったそばを食べる楽しみに変わってきた。器が昔作られたそば猪口で食べたらもっと味わい深いのでは?と思えるようになった。先生や指導してくれる先輩格の年配の人が打ったそばは細く均一で見た目もすっきり美しい。そして腰があり香り立つ。自分のは太かったり細かったりどこか口当たりがゴロゴロして茹でると切れている。
 アンティーク店の主人の店で古いそば猪口を見せてもらうと「あんたもそばに填りましたネ」と冷やかされた。たくさんある古い絵付けのそば猪口が自分の猪口として一つ欲しくなった。自分で打ったそばを自分好みのそば猪口で食べる空想に浸った。単にそば猪口と言っても本で見ると色絵のものや形・染付の絵柄も花鳥風月様々ある。雑器とした器も美しいものがある事が判ってきた。慣れない転勤先の仕事から十日毎のそば打ちの日に合わせるように休みの日にそば猪口を探し、近県の古道具屋さんを電話帳で調べ訪ね歩いた。彦根まで行く仕事があり、早々に仕事を済ませ何件目かの小道具屋さんを訪ねると、湖東焼きのそば猪口が五客揃いであった。値を聞くと自分の持ち合わせでは足りない。又少し大きめの暦文という紋様の猪口があり江戸中期頃のものという。欲しいと思ったが今度再び訪れる時まで、とあきらめた。その紋様を目に焼き付けた。
 そば打ちは単純な作業だが奥行きが深い。気持ちが優れない時は味も腰もなく不味く、同じように打っても毎回微妙に違う。猪口も無名の陶工や絵師が四季折々の絵を小さな器に描き多種多彩ある。いつか退職したら友人達に自分の打ったそばを古い時代の器で振る舞ってみたい気持ちに夢ふくらむ想いがした。猪口も歴史を感じさせるような意匠ある絵柄を探し出したいと思った。そば打ちは体得したが極める迄はほど遠い。退職して関東に戻った今、猪口の美しい優品を探し続けている。
 彦根で見た暦文や湖東の猪口の絵柄を思い起こし、リストラ転勤はちょっぴり辛く寂しかった岐阜の懐かしい思い出となっている。しかし、たった十年ほど前に見た五客揃いのスッキリ美しい猪口を骨董祭へ行っても見る事がなくなった。そば打ちを誘ってくれたアンティーク店の店主や指導して頂いた先生に良い経験をさせてもらったと感謝の気持ちでいっぱいである。




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