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「骨董 笑日幸美 大賞」2011年度集49号第2回作品


新発見、吉井火打金の「上州吉井本家中野妻作」
矢野恒夫 
 私の住む群馬県高崎市吉井町は、かつて「西の明珍、東の吉井」といわれた火打金の名産地でした。とくに江戸時代後期の江戸に於いては圧倒的人気を得ていたそうです。
 吉井町でも平成七年、平成十年の文化祭で火打金を取り上げた特別展が開催されて、町内外で話題となりました。
 その火打金は形状によりおよそ三種類に分類されます。一般的に多く使用されたものに、木板の台に取り付けられた鋼の部分が木造建築に使われる「カスガイ型」と呼ばれ、木板の台の部分には「吉井本家請合」の焼印が押されています。
 次は、鋼のみで、その形状が短冊に似ているところから「短冊型」と呼ばれています。
 三番目が、吉井火打金の代名詞ともなっている「ネジリ型」と呼ばれるもので、鋼の部分の両端をつまんで、上部でねじり結合させた形状のもので、吉井火打金の高度な鍛冶技術の見所でもあります。
 吉井火打金の鋼の部分に切られている銘のいままで記録されているものを調べてみると、柏書房出版の『火の道具』のなかに、長野県小布施のあかりの博物館蔵の火打金についての記録があり、また吉井町で平成七年、平成十年に開催された、吉井火打金の出品目録が記載されていて、高崎市内のあかりの資料館を筆頭に出品者の内容が紹介されていますが、銘の主なものは「上州吉井中野屋女作」、「上州中野屋女作」、「上州吉井本家女作」などがあり、いずれも「女作」銘が切られていることなどが吉井火打金の特色ですが、これは女人禁制の鍛冶職では異例のことですが、鍛冶屋の奥さんが作ったということですが、今回このことが銘文として具体的に残っている火打金の手に入れることが出来ました。
 この吉井火打金を世話してくれた人がいます。この方は私が日頃立ち寄らせていただいている、県立博物館近くの骨董店の店主Hさんです。
 Hさんは骨董屋さんの中でも「買い出し屋」さんと呼ばれる、一般の家を訪問して買い付ける根気のいる仕事のためか、もの腰はやわらかく、人当たりの良い人ですが、品物を見る目は厳しく、その骨董全般にわたる深い知識には頭が下がります。
 五年程前に、たまたま立ち寄った縁が、そのまま続いていますが、私は「火打金を買い出した時は、是非紹介して下さい」とお願いして、今までにも数点の火打金を手に入れることが出来ましたが、今回は今までの吉井火打金の中では見ることのなかった銘文の火打金を入手することが出来ましたので、Hさんに感謝するとともに、ご紹介させていただきます。
 形状は「ネジリ型」で、銘文は「上州吉井本家中野妻作」と切ってあり、従来見られる「女作」でなく、「妻作」は今まで記録されていない銘文だと思います。
 これを機に一層、吉井火打金に関心が集まることを期待しています。

梅花紋染付古伊万里油壺のはかなげな美の世界
千島宏明 
 あれはそう、もうずっと以前、香川県の金刀比羅宮を旅していた時のことです。山際の民家が固まってある所に、一軒の古い民家に古道具屋の暖簾がかかっていて、それは民家を利用した骨董屋でした。思わず入ってみると、ぷんとにおう古材の腐食臭。つと入ると、薄暗い中にそれはあったのです、窓際に小さな丸い白磁の壺が、それは首には麻縄が結ばれて壱輪の野の花がさしてありました。なんというはかなげな美でしょう。そそとした何の飾りもないほのかな和の美。そうそれが私と藍呉須染付梅花紋油壺との出会いでした。
 そもそも、油壺とは、主に江戸時代に使われていた、整髪用やら料理用の油を入れる陶磁器の壺で、商店に油を買いに行くと店主は大きな親壺から柄杓で油を掬って小出し用の小壷に油を入れて売ってくれるのである。その子壷を今、我々は油壺として骨董屋の店頭で見かけるのである。形や文様、意匠は時代により地方によって、変化が多い。
 さて私がここで取り上げるのは食用の油を入れた油壺ではなくて、髪油(びんつけ油)を入れた油壺のことである。江戸中期から、鏡台の引出しに入れるよう背の低いものが多くなり、形も円形、ロウソク形、四角形から十二角形、長形、円錐形、徳利型、ひょうたん型、くびの長い物、首の短い物とさまざまである。釉薬も呉須染付、色絵、青磁、など実に多彩だ。こうした多様性から油壺を専門にコレクトしているコレクターも多いという。又、注ぎ口の口径の小さい物は古いとされ後期になるとやや大きくなる。
 そんな多様な油壺で私が心ひかれてやまないものがただ一つだけある。それはあのさきほどの、古伊万里の呉須染付梅花紋油壺である。とろんとした乳白色の地肌に薄く呉須で梅花が描かれている、ただそれだけの何ともはかなげな染付油壺に心惹かれてやまないのである。
 染付けの場合は梅の文様が多く、ひと筆でさっと実に簡素に描かれている、磁体は天球瓶型で地肌はとろんとした乳白色、高さは10センチそこそこの小さな壺である。そこに手慣れた職人の手で、呉須で梅花がさびしそうに描かれているばかり、実にシンプルな文様である。だが私はそのはかなげなスタイルが野の草花を一輪だけさしたいような憐れというか、わびさびの世界に通じるものが感じられて好きである。無機質な現代家屋の洋室にも、もしこの梅花紋染付油壺の一つでも窓辺に置いて野の花を刺したらそこは、和風の風がそよそよと吹くことだろう。
 そもそも、油壺は庶民の生活道具であるから、当然雑器であり、広くは古民芸のジャンルである。したがって当然値段も安い、とはいえ、昭和30年代には、古道具屋の店頭に、大きなオケに染付け油壺が何十個も無造作に入れてあって、たる全部でいくらというようなただ同然の価格で売られていたという嘘のような話も伝わっているが、今では一個数千円から数万円もするようになってしまった。
 再び繰り返す。私は数ある油壺の中でも、「梅絵の染付け油壺」が好きである。その他の派手な色絵の油壺は好かない。私の手元にも今、梅花模様の染付油壺がひとつだけある。丸い形の安定性のよい小さな壷、まるでいつくしんでくれといわんばかりの小ぶりな染付け油壺。これは髪付け油を入れたもの、江戸時代中期の作品だ。当時は男も髪付け油をもって整髪した、だから、この油壺は男女ともに必需品だったのだ。その白い器面には、にじんだ荒呉須で小さな梅の花びらがそっと描かれている、ひっそりとした梅の藍呉須が遠い日の思い出を彷彿とさせてくれるような、小さく開いたラッパ状の口もおちょぼぐちでいじらしく、この小品は床の間の飾り棚においてもゆらゆらと、ほの甘い思い出をつむいでくれるのである。季節には野の雑草やら野花を一輪だけさして飾る。そこだけが別世界のように淡い和風に包まれている、そんなこの掌品が私はいとおしいのである。こんな小さな雑器にすぎないのにそれは日本美をシンボライズしているとさえいえようか。
 さて、そんな、小さな幽玄美の世界をわびさびの世界をその小さな体に体現したこの「梅絵の染付け油壺」を出来るならば、皆さんも一個買い求めていつくしんでみてははいかがであろうか?


安くなったランプ
浅川廣吉 
 かって行きつけだった骨董屋さんがある。ここのご主人は数年前に亡くなり、それ以来足が遠のくようになってしまった。私のコレクターズアイテムは掛時計・置時計・ランプであるが、私向けの品物が入荷すると電話が入り胸をときめかせながら跳んでいくと、そこには必ずといってよいほど私の眼鏡に叶った品物があり、それは私のコレクションルームに納まったのであった。
 このご主人がご存命の頃、1台の置ランプを紹介してくれたことがある。台はラッパ型の鉄製で全体に銀象嵌が施してある。油壺はルビーのような鮮やかなガラスの上に白いガラスが着せてありカットが施されて赤と白のコントラストが見事なうえ、一部に手彩色の花の絵が施してある。笠は球形でスリガラスの中に麒麟の模様が浮き上がり、現物は勿論のこと図録でも見たことがないような素晴らしいランプであった。値段を尋ねると35万とのこと。いくら素晴らしいランプとは言え、この値段は当時の私にとって二の足を踏まざるを得ないものであった。このランプはご主人のコレクションルーム兼客間に展示されており、訊ねる度に欲しいという気持ちが高まったが、35万では手の出しようがなかった。
 その後ご主人は亡くなられたが、とあるノミの市へ行くと奥方様と番頭さんが店を張っている。このノミの市は月に1回開かれる定期市である。その店頭にあのランプが並べられていた。値札を見ると何と8万円とある。値付けに間違いがあるのではと思い、このランプはご主人の生前中は35万の値がついていたが8万でよいのかと尋ねると、それで良いという。これを買い逃したらもう二度とこのランプにお目にかかることはないだろうと買う気満々で手に取って調べてみると、火屋が一部欠けている。前に同じように火屋の一部が欠けたランプを買ったが、結局同じサイズの火屋を見つけることができずに仕方なく手放した苦い経験がある。こんな経験が頭にこびりついており、その場はこのランプを買うことをあきらめた。
 その1ヶ月後の同じノミの市のことである。この日も件の骨董屋さんが奥方様と番頭さんで店を張っていた。そして店先にはあのランプがあった。近寄って見ると、番頭さんがいうには、前の骨董市では火屋が欠けていたが倉庫中を捜し回った結果、ようやく欠けた火屋と同じサイズの無傷の火屋を捜し出して交換したとのこと。台から笠をはずして火屋を見れば、なるほど完全な火屋に変わっている。このように完品になった素晴らしいランプを前にしては、もう居ても立ってもいられない。即座に「このランプいただきます」となった。同時に番頭さんが、先回のノミの市では8万円の値をつけていたが、火屋を変えてしまったから7万円でよいと言ってくれた。
 ご主人の健在の頃は強気の35万円の値が付けられていたランプがたった7万円で手に入るなんてまるで夢のような話である。どうして35万円のランプが7万円になったのか、その理由を聞こうとも思ったが、先方にもそれなりの事情があると思い、黙って有り難く言い値で頂戴してきた。
 考えてみると、このランプはご主人が亡くなってから初めてこの店から買った品物である。亡くなったご主人の形見分けのような気がした。一方でご主人が「こんないいランプをあんなに安くで売ってしまって」とあの世で怒っているんじゃないかという気にもなり複雑な心境であった。
 このランプ、我がコレクションルームの中では、自分の椅子の前にテーブルがあり、その向こうに帳箪笥があるが、この帳箪笥の上に置いてある。私が椅子に座った時は丁度真ん中にみえる位置にあり、椅子に座った私はこのランプをいつでも眺めることができる。
 亡くなったご主人から分けていただいた他のランプとともに、椅子に座っては1日に幾度となくこのランプを眺めるのであるが、その度に亡くなったご主人の追憶が蘇ってくるのである。


揃わなかった菱形手塩皿 
吉田静司 
 いつ頃から染付磁器の魅力に取り憑かれたか自分でもはっきりしない。夏の終わり頃、石川県七尾市の病院施設工事の応援として出張することになり、現地で何か埋もれた優品に出会えるかも知れないと密かに思った。
 学生の頃読んだ旅行雑誌の紀行エッセーで、日本海に沈む落日の美しさのイメージがあり、自分から申し出て行くことにした。七尾にはすでに社員が数名滞在していて若い社員が金沢駅に迎えに来て宿まで車で送ってくれ合流した。
 休みの日に日本海を見るため、一人で七尾から羽咋まで電車に乗り、羽咋駅前からバスで富来町へ向かった。七尾の富山湾側は晴れていたのに、車窓から見る日本海側はあいにく秋雨前線の影響で雲が垂れ込め、陽はあるのに水平線は遠くで時化ているのかぼやけて見えた。落日の夕景は無理と諦めた。
 宿に帰ると数日前に訊ねていた年配の係の人が「大通り南側の路地に古道具屋みたいな店がありますに」と教えてくれたので、散策がてら夕方、多少の期待もあり行くことにした。
 川に沿った老舗の立派な店構えの和蝋燭屋やお茶屋さん、陶磁器屋などショーウィンドウに抹茶茶碗や九谷の大皿が飾ってある。街並みの歴史ある佇まいは北陸の冬の風景をも連想させることができる。教えられた細い路地を行くと古い乾物屋のような店の飾り出窓に、染付の皿や色絵の皿が数枚並べてあり、墨で「売りマス」と書かれていた。この店だなと思い、ちょっとした蹲い風に作られた緑の葉の連なりのガラス越しに見える染付の皿はとても素敵に見えた。人通りの少ない道端で暫く見ていると、不審者に思われたのか、店から老人がポリバケツに水を入れ、店先の草木に水遣りに出て来た。
 私は老人に挨拶し、間をおいてウィンドウの中の皿のことを訊ねた。老人は「ここは元々乾物屋やけど近頃古い物を並べている。港も近く家に古い物がぎょうさんあるきに」と言う。
 私はここは昔、北前船が寄港した由緒ある所なのだと思い、「どんな物があるんですか?」と聞くと、「戦前の古い物ばかりや」と言う。何だか夢ふくらむ思いがした。「何の商売しとるかね?」と聞かれたので、「七尾病院の工事関係で来ている」と答えると、「そうかねェー」と言って店へ招き入れてくれた。
 店の中は奥行きもあり広く、茶、乾物の昆布、海苔、麦茶などが昔作りの棚に並び、右側のガラスケースの上に九谷の皿や角皿、輪島塗の盆や椀、蕎麦猪口などがやたらに並んでいる。乾物の品と古い物が並び、店仕舞いするような感じで、何の商売か判らない状態だった。丸椅子を出されそこに座り老人の話を聞きながら、出窓の小皿のことを訊ねると、家のどこかに箱のままあるはずとのこと。そして土間の奥から九谷の大きな花入れを持ち出してきて「いい物でしょう」と言う。再度、出窓の菱形皿のことを聞くと「一枚あるのを先に持って行きなされ。どの箱に入っているか判らんけ探しとく」と言うので、一枚買うことにした。店の住所と電話番号が入った包紙をもらい、「二、三日したらまた来ます」と伝えた。仕事の関係で四日後に店へ行くと店は閉じたままで、隣りの家に聞くと二、三日前から店は閉じたままだと言う。出張最終日に店へ行ったが、店は開いていなかった。
 東京に帰り会社から電話を入れたが、呼び出し音だけで誰も出ない。同じ物が揃いであと四、五枚ほしかったが一枚だけの入手で出張は終わったことになる。もう一度行くことがあったらと思いつつ、同じ図柄の変形皿を探しているが、なかなか未だ眼にすることがない。淡い藍色の品のよい皿だけに、もう一押ししてでも買うべきだったと買い逃したことが心残りで忘れられない。取引先名刺入れ欄外の端に、店名包紙の横に赤ボールペンで「菱形手塩皿アリ」と記入してある。その後、あの店はどうなったかなあ?と、出張での皿との出会いが懐かしく思い出として残り、眼の方は無いが、この皿は自分では元禄期の染付菱形手塩皿ではないかと確信している。



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